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古典語学と、その他。

お勉強と興奮の記録。

あばれる

勉強に対して、本当に「厳しい」環境って難しいと感じることがしばしば。

社会人になる前は、文学部はいわばモラトリアムの一種だから、となぁなぁでいいか、と思っている自分がいたのだが、今は正直言ってそれは間違いだと感じている。

では、その「厳しさ」という原理原則をほかの人に強制してもいいものか、と自問自答している自分がいるのだが、自分の中では「厳しく」したほうがいいのだろうと思っている。

根拠は

①どうせ、本当に厳しい人は少数派

②結局、社会に出た後に大学の「厳しい」なんて全く「厳しくない」ことがわかる。「ゼミは社会の模擬演習」と私の先生はおっしゃっていたが、全くその通りだと思う

③大学生の「忙しい」のレベルは「忙しくない」

④場合によっては、最終的に自分のサボタージュをどこかで後悔する時期が来る

くらいか。

特に④は自分も犯してきた後悔。繰り返してしまうかもしれない。

 

自分の中では、目標にしている研究室があるのだが、(まぁ、その研究室にいる人から言わせるとそれはそれで、問題も多いが)一学生の意向で、全体の雰囲気なんて変えられないのは分かっている。

しかし、だからこそ(人に迷惑をかけない程度に)あばれる価値もあるのかと思っている。確かに「文学」の研究室はなんやかんや「甘い」。理系の人の話を聴くと、なおのことそう思う。それゆえにできることもあるのだろうけど、その中で「厳しくあること」を追求する人がいてもいいと思う。

何より、自分が先生から学んだのはその姿勢だ。

(同じくらいに好きな対象に本気で取り組む姿勢も学んだけども)

厳しくすることで、いずれ他人が自分のことを評価するときに、逆に厳しくしてもらえる。そこから学べることが必ずあると思って、取り組めれば。

 

 

独りよがりなんだろうけども。

独りよがりでもそうするんだけども。

仲間が多いより、敵が多いほうがいいのかも。