古典語学と、その他。

お勉強と興奮の記録。

誕生日でした

31回目の誕生日を迎える。
誕生日らしいことは先週土曜日にしたので、今日は通常営業。ブルクハルトを今さら読み始めた。

ことさら、31歳の抱負とか改まる必要はないけど、「楽しい勉強をする」ことができれば、それが一番だと思う。もう少し具体的にはヘブライ語の能力を少しでもつけたい。
(古典ギリシャ語もだけど)

基本、研究室にいて、土日も勉強してるか、本読んでることがほとんど、と友人に言ったら「プライベートないやん」と驚かれた。本人はそうとは思ってない。(そもそも研究室在室時間=勉強時間というわけではない)楽しくやっているのだから、オンオフを考える必要がないのだろう。この中で研究に価値付けを図れれば、と思う。

学部生で一人、文学作品の聴覚的な性質について古典作品を題材に試みている学生がいる。真面目な学生だ。
思えば、2回生の頃の自分も同じような関心から、勉強が始まった。結果、歌のようだから、という理由でラテン語を専門にすると心に決め、それから10年弱。チューバとの付き合いが9年程度だから、もうその付き合いを越えていた。変な比較かもしれないけど、自分のなかでは外国語は楽器のよう。チューバをラテン語に持ち替えることは、チューバを、ユーフォニアムに持ち替えることに等しい。ヘブライ語や古典ギリシャ語然り。

その学部生のテーマに役立つものはないかと、色々読んでいるなかで、2回の頃の自分を思い出していた。多分、あの頃の自分は「全部思い通りにいく」と世界を舐めていた。そこから真逆の「世界なんて絶望しかない」と思っていたのが、20代後半。30代の今は、「なら、その絶望で遊んでみよう」くらいのスタンスに変わった。そう考えると、思いの外、世の中は面白いことに溢れている。

研究書の一節の、短い一文。
研究室の他愛もない会話。
どうしようもなくめんどくさい書類。
雨で、しなだれきってる木々。
なかなか沈まなくなった日。
コロッケだけやたら売れ残る総菜屋。

書ききれないけど、自分が思っていた以上にこの世界は面白いと思う。31になったけど、もう少し生きて、色んなものをみたいと感じる。

明日からも、頑張ろう。

ヴィーダ第2巻読了

何とか誕生日までに2巻は読み終わりたいと目標をたてたが、その割になんやかんやと色んなことに手を出していたら、今日がラスト一日になってしまったので、研究室に籠って、スパートをかけた。20時頃に無事2巻読了。これで、気持ち的に楽に誕生日を迎えられる。

武器の戦争ではなく、言葉の戦争のように描かれていること。二人称で、場面描写を行って、目撃者としての読者が意識されていること(古典作品にも多いけど)。相変わらずの比喩の使用。人物の心情表現。気になることはやっぱり多いテキストだ。

ヘブライ語の独習

ヘブライ語の授業が一番重要な演習のある水曜日になっていたため、今年度は受講できなかったので、今はエクスプレスの古典ヘブライ語を少しずつ進めている。

今日の昼休みに学部生とも話題になったのだが、言語の独学は結構難しいものだ。まずモチベーションの維持が困難。授業やスクールで時間やお金を負担していれば、少しは続きやすいものだが、独学はそれがない。
発音は不安にならざるを得ないし、言語によっては文字もままならない。

幸い、自分の古典ヘブライ語へのモチベーションは、まだもっている。構造が全く異なる文法や文字だからこそ、色々な発見が楽しくなるときが多い。前置詞や人称接尾の考え方は興味をひく。

ヴィーダの歴史記述について、なにかと気付きが増えてきた。出エジプトのエピソードに今日は出くわした。この歴史記述の多さをどのように分析し、ひとつの構造として描くことができるか。

聖書と歴史記述、叙事詩

ヴィーダを少しずつ読み進めているが、興味深い表現によくぶつかる。固有名詞はさほど多くないにで、流れはすっきりとりやすい。

聖書に記載のある歴史をどのように叙事詩に仕上げるか。規範としてのウェルギリウスは、それでもやはり異教徒だ。ウェルギリウス受容をめぐる議論の一部は、参照できる研究書がある。一方で聖書そのものの歴史記述について実際のテキストに当たりながら考えてみたい。1巻では神殿における記述。2巻ではムーサに代わる存在を設定している。慎重に異教的古代の神々は退けられている。そうした存在が可能にする叙事詩は、古代からどのように隔たっていくのか。

読み進めていくなかで、すこしずつ問題点がクリアになっている気がする。

寝不足とマンガ

たまに異常に寝付けない晩があって、昨夜そのせいでほとんど眠れなかった。昼過ぎに研究室にいたのだけど、いくらかラテン語読んで、サンスクリット読んだら、眠さで集中が途切れたので、切り上げてしまった。

夕方頃だったので、古本屋に行ってマンガを物色。
坂道のアポロンへうげものを購入。本当はブルージャイアント買いたかったけど、見当たらなかった。

坂道のアポロン読んでると、話に出てきたビル・エバンズが聴きたくなり、それをかけながら読んでいた。

今夜はこれから、へうげものを読む。

発音をめぐる戦い

金曜日にはロシア語を受けているが、先生のスタイルから、かなり発音を重視する流れ。そういえば、古典語の授業ではさほど発音は言われないので、発音が意識になかったのだが、細かく言われるといろんな癖がある。

子音だけの発音がやっぱりうまくない。ほんのり母音が入ってくる、と毎週指摘される。あえて大声で音読するのでばれやすいのかもしれないが、本当に毎授業、数回注意される。
あまりに何度も言われているので、悔しくなって、自分から「来週、完璧な発音で数字を1から10まで言います」と予告した前々回の授業。昨日がその本番だったのだが、初めて「完璧な発音」と褒められた。この年になっても褒められるのは嬉しいもので。(この数十分あとに教室を爆笑させる大ミスを犯すのだが。)

発音と言えば、その前日のイディッシュ語。テキストの講読だったのだが、何度やっても、「それはヘブライ語の発音です」「それはヘブライ語のアクセントです」の注意の繰り返しだった。イディッシュ語に入り込んだヘブライ語アラム語語彙の発音はしばらく戦い続けることになりそうだ。

来週月曜日にヘブライ語の先生に挨拶できるみたい。
楽しみ。

こういう時こそ

今日は夕方に盛大にへこむことがあり、一気にダウンしたが、(このため、ギリシャ語で後輩の負担を増やしてしまった。反省。)

今日まで、本質的にネガティブなことは言わないと決めていたが、今日の一件で決壊してしまった。一番根深いところで我慢していた部分が炸裂した感じ。(逆に今までのネガティブ発言は自分にとって大したことではない、とも認識した)

と、書いておいて、今日の自分の発言(夕方前)を振りかえる。

環境じゃない。環境を何とかしようとする自発性だ。
そうだと思っている。

環境に文句を言うのはやめよう。
騙されたんじゃない。
騙されたいと思っている自分がそもそもいたのだから、それで、実際に進学したのだから、完全に「自分の」問題だ。

何年かかろうが、構わない。
やりたいことをやるために必死になろう。

聖書学の基本を少し整理したいと思って、日本語文献を一気に借りた。割とさくっといけそうなので、読み進めたい。