古典語学と、その他。

お勉強と興奮の記録。

セネカのメデイア

ギリシア語4週間、本気を出してきた。
かなりの情報量にパンク寸前。しかし、あきらめない。

助教の人が夜になって突然、明日の午前にセネカの読書会あるから、といってきた。テキストコピーを渡され、40行程度。そういえば、ギリシア語の勉強にかまけてラテン語読んでなかったな、と思い着手。話すらどの辺かわからず、英訳をたどってようやく筋を見いだす。そこからは文法的には説明がつきそう。単語はすっかりだったけど。

やっぱりギリシア語より、ラテン語の方がまだ使いなれてるかなぁ。

イブン・ハルドゥーンの歴史序説、岩波の4巻を借りてきた。昨日のテロのニュースを見て思ったのだけれども、自爆テロを起こした人は何を思って、何て言って爆発したのだろう。追求から逃げていくテロリストは何を考えていたのだろう。テロリストと同じ民族、宗教の人は…など。
ヨーロッパの学問をやっているけれども、それだけではやっぱり限界だと思う。アジアだって、中東だって、アフリカだって、読むべきテクストはたくさんあるし、そこから上っ面だけでない、真剣な国際理解だってあるはずだ。

いつかある美学の先生が、授業でこういった。

なんで、伝統的なクラシックを学んだ人間がナチズムに簡単に加担して、あんな残虐なことができたのか。

事実関係はわからないけど、(西洋の)「クラシック」に触れた人間として肌感覚で感じる。
クラシックに、人をそうさせる一面はある。
権威と言うか、伝統というか、個人の力以上の力が働いているように思う場面は割とある、気がする。

だから、超正統クラシックには距離をとりたい。
そのためには、逆に圧倒的なラテン語力とギリシア語力がいる。もうちょっとやり残したギリシア語作文をしよう。