古典語学と、その他。

お勉強と興奮の記録。

2019年になった

例年、年末に記事を上げていたが今年はそれもしなかった。

特に何かがあったわけではないが、大みそかは、読みだした本が面白くて、結局読書して終わった。

(二宮正之『小林秀雄のこと』)

 

さて、2019年である。

今年もとりあえず建物では新年一番乗りを果たすことができ、午前中の語学はじめはヘブライ語聖書とギリシア叙事詩の二本を過ごした。

 

今年は、「書く」ことに集中しなければならない。

決してさぼっていたわけでもないし、論文も書いてはきたが、そろそろもっと大きな世界で仕事することを意識しないといけないと感じる出来事がいくつか年末に重なった。

もっと早くに始めるべきだったという後悔がないわけではないが、ここまで来たらやるしかない、といくつか準備を始めている。

 

具体的な内容や本数はここには書かないが、ちょっと量にこだわってみたいと思っている。

 

古典語は相変わらず日課として続けていく。

これがないと窒息して死んでしまう、私は。

出来ることなら新しい言語を勉強してみたいが、上にも書いた「書く」仕事を妨げるほどにはしないようにしたい。

ドイツ語翻訳出版の仕事も責任もって、担当箇所を何とか読書に耐えるように終わらせたい。

 

去年からの非常勤の仕事も2年目に入る。

こちらは学生本位の授業を構成する創意工夫を重ねていきたい。

 

ところで、年が明けると多少はその年の運勢が気になってしまう。

気が付けばここ数年は「しいたけ占い」と「ソウルナンバー占い」を見ている。

しいたけ占い」は占いというより、カウンセリングのように思えて読んでしまう。

(私なんかは読者層として想定されているのか?)

一方の「ソウルナンバー」は単純に「占い」として読んでいる。

(そしてすぐに忘れる)

 

ただ、今日知ったのだが、私はここ数年違う(正確には違わないと言えば違わないのだが)ソウルナンバーを見ていたっぽい。

今まで自分は「6」がソウルナンバーだと思っていたが、

どうやら計算の過程でぞろ目になったらそこで終了しないといけないらしく、

その理屈だと私のソウルナンバーは「33」であった。

(全てのソウルナンバー占いがぞろ目ルールを適用しているわけではないが)

 

とりあえず、「6」は去年絶好調だったらしいのだが、私の実感ではそうでもなかったので、今後は「6」ではなく、「33」で行こうと思っている。

(ちなみに「33」の去年は「安定」の年だったらしい。なんでもありだ)

 

「33」はカリスマ性あふれるナンバーらしい。

基本的に他人に理解されないが。

 

ぼちぼち昼休みを終わりにして、午後の勉強に取り掛かりたいと思う。

午後は単純な語学では眠くなりやすいので、論文の執筆に取り組むことにする。