古典語学と、その他。

お勉強と興奮の記録。

放置の挙句

大体において、こういう場合ブログ閉鎖とかするのだけれども、過去の文章読んでも「いいこと書いてるな」と自分で感じるくらいには年を取ったので、そのまま残して、こうして思いついたら近況を書く、というのでもいいかなと思っている。

 

最後の記事が2016年の大みそかだった。

あの後元日も研究室にいた。相変わらずだ。

 

2017年は研究室の体制が変わり、ある意味でいろんな自由が利くようになった部分は多い。面白い後輩たちを研究室に迎えることもでき、研究室旅行もするなど、学生としての運営としてはまずまず(それでも悩みは尽きないが)ではないかと思っている。

 

研究と言えば、4月に研究発表、5月に学振DCの申請書を書く過程で、自分が(少なくとも博論において)何をどのように論じるべきかの方向性は見えてきたように思う。相変わらずやりたいことは山ほど思いつくのだが、そこからどこに注力すればいいかの目途は立ってきたようだ。今年は、原典はあまり読めていないが、刺激的な研究に多く出会えていると思う。「歌」と「美術」、その境界に立つ「詩」。この路線を続けていきたい。12月には予備論文の提出がある。

 

来年に在外研究の可能性が出てきた。とにかく外国で勉強したかったので、この機会はとても嬉しい。指導教官と相談しているが、個人的には中世ラテン文学の勉強ができる環境が望ましい。独特の言葉だと思えるので、それにどっぷり浸る時間が欲しい。もちろん、ネオの方も読まないといけないけれども。いろんな野望があるけれども、ここでは割愛。

 

今年の語学で一番スリリングなのはやはりセム語。古典シリア語と聖書ヘブライ語の授業を聴講させてもらっている。聖書ヘブライ語については独習でテキストの半分以上には進めてきた。全く見える世界が違ってくる。これがあるから語学はやめられない。あとは、とあるきっかけで中期エジプト語もかじる機会を得た。今月の中旬からまた講読に参加する。あれも自分の言葉の世界を広げてくれた。目の前を飛んで行った雀を見て、ヒエログリフに見えた瞬間、自分がどうかしたのかとは思ったが。

 

色んなきっかけで他の研究科の院生とも仲良くなれた。勉強を楽しく思う人に、学年とかは関係ないと思っているけれども、それでも少し年が近い学生と話せるのは、それはそれで安心する。そして、自分も研究を頑張らないと、と思う。勉強会も立ち上げた。どう進んでいくかはまだ見えないが、面白くする、ことを念頭に突き進んでみたい。

 

たぶん、派手に遊んだとか、旅行したとか、彼女ができたとか、結婚したとか、なんかに優勝したとか、そんな華々しい面白さや楽しさは期待していない。けれども、少なくとも今の勉強できる時間は、たまらなく楽しく、刺激的で、退屈しない時間だ。こういう時間があと何年出来るかわからないけれども、最後まで面白がっていたい。

 

で、その面白さが少しでも誰かに伝われば、それが一番だと思っている。

1年放置したのは、その1年が案外充実していた、ということだろう。

次はいつになるのか。