2020年最後の日
本当に1年に1回書くか書かないかのページになってきたが、まあいいや。
(この書き出しもよくやっている気がする)
所属と身分が変わり、仕事や研究の分野も大きく様変わりした1年だった。大学という組織への見方が否応なしに広がった気がする。とはいえ、新しい環境に移った途端にコロナコロナで毎年のルーティーンとは異なる状況だったらしく、その点ではまだこの大学のことや仕事のことを十分に分かっているとは言えないだろう。
ただ、コロナのおかげ(?)で、いい意味で「仕込み」がたくさんできた1年だったかと思う。特に出版物関係は今年はいろいろな縁に恵まれたと思う。年が変われば、2020年度だけで2冊、来年度に少なくとも1冊は出版が決まっているし、その後の出版の話もいくつか来ているので、再来年までにかけてコンスタントに出版の仕事には携われそうだ。(分野は文学関係もあれば、大学教育関係もある)
来年はあと研修の仕事は多くなるかもしれない。本来今年もいくらかする機会はあったようだが、コロナで流れたのもあり、部分的にしか関与できなかった。これは心残りといえば心残り。いくらか授業改善の取り組みに(学外で)かかわって、報告記事を書きはしたが、もう少し、エフォートを割きたいとと思っている。
研究は高等教育については「芸術と大学」というテーマで画策中。少し遠回りかもしれないけれども、芸術という枠組みの中に文芸を位置付けて、文芸の教育や研究の意義や方法について考えたいとかねてから思っていたので、今の所属に移ったのを機に本格的に取り掛かり始めた。これは年度明けに発表の機会を得たので、まずはそこでアピールに努めたい。
ラテン文学のほうは、Seduliusをちまちま読んでいたが、年度後半からちょっと触れなくなってしまった。科研も受けているので、とにかく少しでも論文化していくようにしたい。詩編と叙事詩という2つの詩形についていろいろ考えている。
プライベートで特筆すべきはスポーツクラブに通いだしたことだろう。ダイエットはかれこれ1年半くらい前から続いていたが、体重よりも体形を何とかしたいと思いだしたのと、コロナで外出を控えていたら体重が増加傾向になったので、秋ごろから通いだした。週3で筋トレして、走って、泳ぐのを基本的なメニューにしている。おおよそ5パーセント体脂肪率を落として、ウェストは10センチくらい減った。ある意味、今年一番わかりやすい成果を挙げたことになるか。おかげで服を選ぶのが楽しくなっている。
語学は東京外国語大学がオンラインで市民講座を開講したので、アムハラ語のクラスに参加している。毎週水曜の夜。セム系の言語はいくつか学習してきて、基本的な話はわかっているつもりだったが、アムハラ語はこれまで接した言語とはちょっと印象が違っていて面白い。ゆくゆくはゲーズ語とかも勉強したいのだが、その日は来るのだろうか。少しずつでも古代語のレパートリー(?)は充実させたい。(アムハラ語は古代語ではないが)
こうして振り返れば、成果につながる仕事に携われて、運動や学習で充実したプライベートも送れているので、よい1年だったといえるだろう。周囲の人々に助けられ、励まされ、なんとかやってこれたように思う。ただ、まだまだ仕事に必要な能力で足りないものは多いので、来年はもっと「使える」人材になるよう走り続けたい。
そういえば、「結婚」という目標を秋ぐらいに立てたが、もはやこれは諦めかけている。このことになると一気に悶々としてしまうのがわかった。これはネガティブな反省である。
2020年の目標
もう、一年に数度しか書いてない。けど、まぁいいか。
今年も正月からあえて平常運転で朝から勉強と仕事に精を出す。
『創世記』を読み終えてから取り組んでなかった聖書ヘブライ語マラソンを今日から再開した。今度は詩が読んでみたかったので、『詩編』を少しずつ読み進めていくことにする。今日初めて読んでみたが、やっぱり散文と違って慣れるのに時間がかかりそうだ。焦らず進めたい。
今年は多分(また)大きな身辺の変化が起こりそうなので、今立てた目標がどこまで達成可能かわからないけれども、ここ数年は立てた目標はそれなりに達成できていると自己評価しているので、今年もある程度の方向性を決めていきたい。
1.語学
聖書ヘブライ語『詩編』を毎日少しずつ(3~4節程度ずつ)読む
アラビア語の初等文法を修める。来年からテキストに挑めるように
2.研究
古代末期の叙事詩(ここには作品名は挙げない)で発表と論文を最低一つずつ
3.仕事
翻訳をちゃんと片を付ける(上半期)
(どうなるか見えないのでここにはこれ以上は書かないことにする)
4.その他
統計の初歩を修める。検定も視野に入れる(?)
芸術と教育についての専門的知識を増やす
多分、年始休みが明けたら、いろいろバタバタするのだろう。
毎年こんな感じになっているが、いい加減慣れない。
2019年の総括を書いたが、これはFBでのみ公開することにした。
ここに書くのはまた来年だろう。来年、どんな感じになっているのか。
令和になって
令和になってとタイトルを書いてみたものの、とりたてて令和らしいネタもない。そういえばと思ってこのブログを訪ねてみたらかれこれ4か月くらい放置されている状態であったので、埋め草的に書き出してみた。
年度が改まって立場が変わったのだが、現状それほど忙しいわけではなく、週2で学外に非常勤に行っていた去年に比べて多少自分の時間が増えた気すらしている。ラテン語やギリシア語、ヘブライ語を読む時間が増えたのは嬉しい。
ドイツ語能力は相変わらずなのか、ただ実感がないだけなのかわからないが、継続して続けている。翻訳もそろそろ残り時間を意識しないといけないので、ペースを上げていかないと…とは思いつついちいち苦戦している。
にも拘らず、この4月からアラビア語の講座を受講し始めた。木曜の夜なので大学の仕事にも妨げられることなく念願だった勉強ができる。当分文字の学習が続くが、この文字で過去2回くらい独学を断念した経緯があるので、まずは文字だけでも、という気持ちで頑張りたい。
平成だろうが、令和だろうが、結局仕事して、語学しての生活なので、書くことにヴァリエーションなんてない。
しかし、かと言ってバカ騒ぎするのも文字通りバカっぽいので、この連休後半は好きな本読んで、好きな勉強するのに時間を使いたいと思う。
2019年になった
例年、年末に記事を上げていたが今年はそれもしなかった。
特に何かがあったわけではないが、大みそかは、読みだした本が面白くて、結局読書して終わった。
(二宮正之『小林秀雄のこと』)
さて、2019年である。
今年もとりあえず建物では新年一番乗りを果たすことができ、午前中の語学はじめはヘブライ語聖書とギリシア語叙事詩の二本を過ごした。
今年は、「書く」ことに集中しなければならない。
決してさぼっていたわけでもないし、論文も書いてはきたが、そろそろもっと大きな世界で仕事することを意識しないといけないと感じる出来事がいくつか年末に重なった。
もっと早くに始めるべきだったという後悔がないわけではないが、ここまで来たらやるしかない、といくつか準備を始めている。
具体的な内容や本数はここには書かないが、ちょっと量にこだわってみたいと思っている。
古典語は相変わらず日課として続けていく。
これがないと窒息して死んでしまう、私は。
出来ることなら新しい言語を勉強してみたいが、上にも書いた「書く」仕事を妨げるほどにはしないようにしたい。
ドイツ語翻訳出版の仕事も責任もって、担当箇所を何とか読書に耐えるように終わらせたい。
去年からの非常勤の仕事も2年目に入る。
こちらは学生本位の授業を構成する創意工夫を重ねていきたい。
ところで、年が明けると多少はその年の運勢が気になってしまう。
気が付けばここ数年は「しいたけ占い」と「ソウルナンバー占い」を見ている。
「しいたけ占い」は占いというより、カウンセリングのように思えて読んでしまう。
(私なんかは読者層として想定されているのか?)
一方の「ソウルナンバー」は単純に「占い」として読んでいる。
(そしてすぐに忘れる)
ただ、今日知ったのだが、私はここ数年違う(正確には違わないと言えば違わないのだが)ソウルナンバーを見ていたっぽい。
今まで自分は「6」がソウルナンバーだと思っていたが、
どうやら計算の過程でぞろ目になったらそこで終了しないといけないらしく、
その理屈だと私のソウルナンバーは「33」であった。
(全てのソウルナンバー占いがぞろ目ルールを適用しているわけではないが)
とりあえず、「6」は去年絶好調だったらしいのだが、私の実感ではそうでもなかったので、今後は「6」ではなく、「33」で行こうと思っている。
(ちなみに「33」の去年は「安定」の年だったらしい。なんでもありだ)
「33」はカリスマ性あふれるナンバーらしい。
基本的に他人に理解されないが。
ぼちぼち昼休みを終わりにして、午後の勉強に取り掛かりたいと思う。
午後は単純な語学では眠くなりやすいので、論文の執筆に取り組むことにする。
やりたいこと
やりたいこと。
1、(少なくとも日本人には)ほとんど知られていないラテン語の文学作品をたくさん読むこと。
決して流行らない文学だが、しっかり読めば発見は多い。古典、というものを限りなく相対化したいのだ。仲間はほとんどいない世界だし、今後も増えることはまず無いが、一人でもなんとか続けていきたい。
2、古い言語の勉強。
これはもちろん今更専門家のようになることはできない。ただ、垣間見るだけでも、この世界は本当に色んな表情を見せる。出来るならもっともっと時間をかけて比較言語学をはじめとした言語学の知識を持って、古代語に接したい。ギリシア語、ラテン語ばかりが古代語じゃないし、印欧語だけが言語でもない。もっともっとやりたい言語はある。
3、高等教育における人文学と芸術
これはここ1年くらい、自分の中でかなり重い問題。これは詳細に書くと不都合が生じるかもしれないので割愛。
やりたいことがたくさんあるのは幸せなこと。ただ、それに見合う努力をしているかは常に厳しく自己反省しないといけない。多分、まだまだやりたいことに対して、自分の努力、能力は全く足りていない。もっともっと励まないといけない。
拒絶すべきものは拒絶し、突き抜けること。
それができないならこの世界にいても仕方がない。
という決意を新たに、今年もあと1ヶ月、頑張りたい。
さようなら、ゲッティンゲン。
本当はこの前の記事でドイツ滞在中の投稿はやめにしようと思っていた。
けれども、さっき夕食から帰宅する途中で、どうしてももう一度書いておきたくなったので、これで今回のドイツ滞在関係の最後の投稿にしたいと思う。
(「読んでるよ!」というコメントももらえたし)
さっきまで、クラスメイトだったゲッティンゲン大の研究員に誘われて、彼の家族と一緒にレストランで食事をしてきた。彼は私がクラスで出会った最初のクラスメイトであり、授業最初の日から最後の日までドイツ語はおろか英語も怪しい私にやさしく、紳士的に接してくれた。多分、彼がいなければこんなにこちらの授業を前向きに受けられなかったのではないかと思う。
今日もせっかくの招待にもかかわらず、不完全で要領を得ない会話しかできない私にゆっくりと分かりやすいドイツ語で話してくれた。彼の2人の子供はとても元気で臆面なく私にドイツ語と英語で色々聞いてくる。答えに困る場面も彼が色々と助けてくれた。
人の縁とは不思議なもので、地球規模でみれば「出会う確率が1パーセント未満」みたいな人間の方が、実際に出会った人間よりもはるかにはるかに多いにもかかわらず、それでも何かの拍子で「出会ってしまった人」というのがいる。このことは別に日本だけに生きていても事情は変わらないはずだが、十数時間のフライトを経てはるばるやって来た全く異国の地でこの経験をすることで、その人の縁の不思議(と切なさみたいなもの)を痛切に感じるところとなった。おととい、昨日、今日と何度か拙いドイツ語で「別れの挨拶」を繰り返すたびに、「ああ、もしかしたらこの人には次にあえないかもしれない」との思いが強くなり、かろうじて表現を覚えた「wiedersehen」が不思議な重さを持っているのを感じた。こう思っているのがたとえ自分だけであったとしても、別にそれでいい。
多分(いな間違いなく)、これまでの人生で「無駄に放棄した出会い」や「雑な対応しかしていない相手」がたくさんいる。過ぎたことはどうしようもないが、このことを少し悔いた。これほどにも「さようなら」が重いとは思っていなかった。これで日本に帰って自分の性格が治っているとも思えないが、もう少し「さようなら」をまともに言える人間にはなってもいいかもしれない。
こういうのはやっぱりもっと若くして体験すべきだったかも。
だけど今さらでも体験できてよかった。
「1か月程度で何を悟った気でいるんや」とも言われそうだが(事実そうだと思う)、これだけの学びを得たことを幸福に思いたい。
さようなら、ゲッティンゲン。
授業全日程終了。
たった今、最後の授業が終わった。受講証明を先生から受け取り、6人(途中から5人)の小さなクラスでのドイツ語トレーニングは終了した。
授業後に先生にドイツ語で書いた手紙を渡した。先週末の授業が終わった後に、自分がいくら感謝の気持ちを持っていても、今の自分のドイツ語の会話能力ではその感謝の気持ちの3分の1も伝わらないかと思い、それならばと昨夜多少時間を掛けて(それでも拙いのには変わりはないが)メッセージカードにドイツ語のメッセージをしたためたものを準備していた。ドイツ語が拙いのと、結構恥ずかしいくらいストレートに感謝を書いているのでどこにも上げることはしないが、しかし、これでちゃんと伝えたい気持ちは伝えられたのではないかと思っている。
思えば古典語の勉強ばかりしてきた自分には「話す(聞く)語学」は必ずしも重要なものと思われていなかった。何よりも「読める(できれば書く)」ことがまず第一であり、それ以外の領域の学習は後手後手になっていた。それを何とかできればと思いっ立ったのが今回のゲッティンゲンへの短期の研修だったわけだが、「外国人として生きること」と「言葉が伝わらないこと」がどういうことなのかを身をもって知ることになった。私より若くても海外経験が豊富な人からすればこんなこと当たり前すぎることかもしれないが、30過ぎた今になったとしても、この感覚を得られたことは大事なことだと思う。
要は「生まれなおした」感覚である。言葉が伝わらない以上、最終的には表情やジェスチャーや声色など、より「幼児的」な表現に訴えるしかない。クラスは総じていわゆる社会人がほとんどだったが、母語でない学習言語を話す(私も含めた)受講生は一様に抽象度が低い、子供のような表現に頼らなければ、「昨日の生活」さえまともに伝えることができない。とりわけ日本語を母語にする自分にはそもそもの言語感覚が違いすぎているので、クラスの進行の足を引っ張っていたと思う。(ただ、カタールからの学生は母語がアラビア語だから、一概に母語のせいにもできないけれど)
とにかく、私はドイツで幼児のように生きていたのだと思う。だから、頭の中の難しいことを考えている自分と、表現が極端に幼稚にならざるを得ない自分の距離がストレスの原因になっていた。外国にあってその言語を学ぼうとする学習者にとって避けることのできないことだと思う。
ただ、この学校はそういったストレスへの配慮がとても行き届いた環境であった。外国語学習への理解がとても進んでいる証拠だろう。それは授業の中における方法論にも感じることができた。(もちろん、この前提にはこの学校に通う人たちのそもそものモチベーションの高さもあるだろう、言うまでもなくクラスへの集中力や取り組みの態度は日本の大学の比ではない)いわゆる「アクティブ・ラーニング」の効果について考えるきっかけにもなった。これは自分の教育的な関心。
日本に帰ったら再び仕事と古典語の日々に戻る。それでもやっぱり古い言語が一番好きだ。ただ、ドイツ語を話す/聴く感覚はこれからも培っていきたい。10月からは毎週土曜午後にゲーテの教室に通うことにしている。週1でこの9月の密度からするとスカスカにはなるが、それでも1回3時間程度のクラスなのでプラスにはなるはずだ。
こういう勉強はもっと早くに始めないと…と言われそうな気がするが、ここまで来たら、誰が何を言ってきても自分の中では、「死ぬ前に初めてよかった」くらいに思うようにしている。何事も。
あと二日したら金曜の朝一にゲッティンゲンを出発する。